ギャンブルが教えてくれる教訓
上記の文中からすごくいいなと思った言葉があるので少し抜粋します。
例えばヨーロッパの紳士たちがカジノをするんですけど、それはギャンブルで負けたときでもいかに平静に振る舞えるかという鍛錬でもあるんですね。これはさらに言うと――なにかの本で読んだんですけど――死ぬための練習にもなるんです。つまり、人間がいずれ生物として必ず死ぬように、カジノでは必ず負けるときがくる。だから、ギャンブルで負けるっていうのは確定している死のための「擬似死」であり、その練習であるらしいんですね。
私もパチプロ目指してパチスロ必勝本とか読んでた時、ギャンブルは負けた時にいかに平静でいられるかだという記事を見た事があります。
ギャンブルを究極に突き詰めていくと、大負け状態を一瞬にして覆す瞬間=変な表現でいうと肛門の底から頭まで何かが突き抜けていくようなそんな一瞬の快楽と、もう一つ、今回福元さんが言ってる、負けた時の自分に見せる為の自分への振る舞い方だと思います。
似たような心構えで望まなきゃいけない事が、人生的な土壇場にもあるんじゃないでしょうか。もう自暴自棄になりそうな最悪な時ほど、平静な状態を自分で作り出す、そんな風に生きれたら、借金がたくさんあるような状況でも悪くナイんじゃないでしょうか。
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