買い物依存症への考察
誰しも子供の時はお金を稼ぐ力がありません。法律で働く事が禁止されているからです。
子供の頃のお金へのトラウマ的経験が借金と結びついているケースを見つけたのでココに掲載します。
裕福な家庭に育ったのならいいでしょうけど、親から欲しいものを買ってもらえなかった人の場合、それが借金をする位に浪費してしまう原因になってしまっている場合もあります。
あなたのお金にまつわる古い思い込みとは?
お金はもともとやっかいなもの。ぎりぎりで暮らしていくのも、借金があるのもふつうのこと。お金を使って人生を楽しんでもばちはあたらない。あとで返す方法はいつでも見つかる。
借金しても構わない、大勢の人がそれでもちゃんと暮らしている、と認識しているケースが載っていました。
このケースでは借金をしてでも生活に不自由するのは嫌だ、何でも買いたいと考えてしまうようです。
続けます。
その認識はどこから生まれたのでしょう?
両親はいつもお金の事で不平をこぼしていた。私が子供のころ、何かが欲しいとねだるたびにそれが必要なものであったとしても、父はこう言った。「だめだ、お金は木に生るもんじゃない」と。そのあと決まって母が、なぜそのお金がないかという彼女なりの答えを付け加えた。たとえば、「うちの暮らしは楽じゃないの」と。それで私は、大きくなったら何でも欲しい物を自分で手に入れる、誰にも求めたりしない、と誓った。
その認識について、自分はどう感じるか?
怖く感じるわ。たぶん、少し歯止めがきかなくなってるのね。どうしてもものを買わずにいられない。何か買うと1時間か、1日位はうれしさが続くけれど、そのあと気分が悪くなる。若い頃は何かを欲しがる事にうしろめたさを感じていたわ。それがたとえ、冬の通学用ブーツでも。お金の要る事が出てくるたびに両親にお願いして、だめだと言われるのを待ち受けるの。胃のあたりがきゅっと締め付けられる感じだった。
自分が本当に愛されているのかどうか、よくわからなくて。
その認識を変えたいと思いますか?どんな新しい認識を持ちたいと思いますか?
私は私自身の主人だ。もう必要なものを自分から取り上げたり、ひどい無理をして手にいれたりしない。ほどほどの値段の品を買うときに胸の痛みを感じる必要もない。そういう認識を持ちたい。無駄遣いはいっときの気晴らしにはなっても本物の効果がないということはもうわかっているから。借金を返済できれば、私が自分のお金を管理し、未来を確かなものにできるというい証になる。中略 私の自尊心はもう、両親が昔やった事やl、私にお金を使わなかったことに左右されはしない。たとえ私にはよくわからなくとも、両親は両親なりに私への愛情を示していたのだ。私はその事を受け入れ、自由に先へ進んでいける!もう過去にとらわれることはない。以上抜粋終わりです。_(抜粋元 ダチョウはなぜ金儲けが苦手なのか お金タイプでわかるマネー術 ジョーダングットマン 文芸春秋より)
自分が貧しい家の子供ではなくて、自分は自分自身の主人だと考えていく事がこの人の買い物依存症からの脱出の為に必要な事だったようです。
こういう、幼少期からのお金とのねじまがった認識があると、その人が経済的に良くなっていく為に大きな障害となる場合が往々にしてあると私は思います。
もしあなたが、小さい頃、お金に関するトラウマがあるのなら考えてみる必要があるのかもしれません。(たいていの人には何か買ってもらえなかった経験があると思いますが、それがとても多かった人は特に考える必要があるのではないでしょうか)
ほどほどの値段の品を買うときに胸の痛みを感じる必要もない。
私の場合、これが本当にひっかかります。
妥当な金額の物を買うのにも、借金がある為に、自分は買ってはダメなんだと心の中で、自分自身が自分に対して言ってきます。でも、これって人生的にみると、必要のない自責なんだと思います。自分は自分の主人、この考え方は大切かもしれませんね。
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